楢山節考の作品情報・感想・評価・動画配信

「楢山節考」に投稿された感想・評価

さくや

さくやの感想・評価

4.0
戦メリを抑えてパルムドールを取った作品だと思っていて、さすがだなーと思いながら見たけど、それは今村昌平版らしい。そちらもみなくては。
こちらもかなり衝撃。ただただ、すげえなあの一言。最後の3カットにはため息が出た。
brian

brianの感想・評価

3.8
貧困、差別、風習の中でも親と子の絆は深くていつまでも消えない…。
映画が終わりシアターを出てからも涙が出てくる感動的なものでした。
全編を通して長唄や浄瑠璃が流れ歌舞伎の舞台を観ているような感覚になりました。
田中絹代さんは生きた歯を抜き、高橋貞二さんは15Kg減量しての熱い演技に圧倒されます。
オールセットが中心ですが最後は蒸気機関車が現れます。木下監督は今の世の中に何かを訴えているのでしょうか。
これからも年老いた母親を見守り大事にしていきます。
Makiko

Makikoの感想・評価

3.6
なんとも粋な演出!書き割りやセットがあまりにもハリボテじみていて、なんだか舞台でお芝居を見ているような気分だったのだけど、後からそれが狙いだったのがわかってきた。

冒頭の定式幕や劇中の役者の歩き方を見つつ、義太夫三味線の音を聴きながら、やっとこれは劇映画を模した歌舞伎だということに気付かされた……というのはこの映画が大好きな私の祖母の助けが大きい。そういえば画面サイズも松竹グランドスコープだった。

場面転換とか、今どうやったの?カメラはどう動いたの?の連続で、ずっと画面に釘付け。一緒に観ていた家族が「ゲキシネの走り」と言っていたのを聞いて、木下恵介監督のパイオニアとしての面を再認識した。

ラストだけモノクロになるのだけれど、一見淡々とした映像のようでこの物語が現代の世界と地続きになっていることを示しているというギャップが生々しく、恐ろしかった。
#61 松竹シリーズ
1958年の公開で、富士フイルム社のカラーネガフィルムが、長編劇映画で初めて使用された作品。
とてもキレイな映像だった。

全てセットで撮影されており、歌舞伎の様式を用いた演出、独特の色合いが素晴らしい。

40代後半である田中絹代の69歳の演技にも違和感なく、自らの前歯を何本か抜いて演技に望んだという。

木下組、常連の望月優子も義母思いの優しい役柄を演じきっていた。

1983年の今村昌平 東映の方も見てみたい。
1000

1000の感想・評価

3.2
奇人・奇習・奇行……。全編セット撮影もクセがすごいし、田中絹代がまじで歯を抜いて演じているらしくて引いた。
ヴィジュアルが印象的な一方で話がうすいので、10時間もすれば綺麗サッパリ忘れそう。
見る前にだいたいのシナリオが知っていても、母親自身が山に行きたいシンを見るとやはり感動された。資源が今日のような豊かではない昔の人々は、やはり生きるために何らかの犠牲をしなければならないだろう。それでも母親を山に送るシンはとても衝撃的だと思う。
しゃび

しゃびの感想・評価

4.0
【走る映画、歩く映画】

多くの映画は「移動」なくしては語れない。

歩くのか、走るのか、車を使うのか。
どのようなスピードで歩くのか。
どのようなスピードで走るのか。

移動は物語を進めるだけでなく、
映画のテンポや感情、キャラクターの性質を語る大事な要素だ。

例えば『その男凶暴につき』で、
その男が凶暴である所以は歩行にある。


この映画の演劇感たっぷりの一本道は、
「移動」を際立たせる。

ラストの歩行からの疾走は、ずっと抱え続けてきた葛藤の発露だ。

『日本の悲劇』における列車への突撃も、衝撃的だったけど、この映画の疾走も胸を打つものがあった。

その全てを嘲笑うかのように走り抜ける、一本の列車。「ぼくらのもやもやなんて所詮ちっぽけなものなんだけどね」と言われているように感じた。
初めて観るタイプの映画でした。全部セットなのかな。だとしたらすごい手間ではなかろうか。三味線bgmに独特のナレーション。こういう映画は見たことなかったですね。

おばあちゃんが健気で可哀そうになりました。特に雪の中一人で座ってるところは居た堪れなかったです。終盤に移る山頂のスペクタクル映像には目を引かれました。でも見た感じおばあちゃん意外に生きてる人がいなかったですね。なんでだろう。

セリフが聞き取れない場面がいくつもあったので推測ですが、近所のおじいさんとその息子の様子から察すると、本人の同意なしに無理やり捨てられないみたいですね。
ウニ

ウニの感想・評価

3.0

このレビューはネタバレを含みます

山間部農村の山岳信仰と家族と村社会、民俗学的に勉強になった。
オールセット和ミュージカルみたいな体で、格調高かった。

生産性キープかつ有限の資源分配という、閉鎖状態で集団を維持するための仕組みが垣間見れた。汗。拡張しない世界。

閉鎖社会でのモラル不一致への懲罰が山岳信仰とmixされ、村の唯一の楽しみ・ストレス解消祭ぽく盛り上がってた。集団維持のための生活の知恵的哲学。
縮小する産業界との一致を確認。
拘泥

拘泥の感想・評価

3.7
映画として今村版とはあまりに違うが,単な映画化としてはこの木下版の方が良い映画化かもしれんくて,こと映画としては個人的には今村版のほうが面白いけどそこは人それぞれかね.出囃子的なスタートから全編良いセットで撮られる舞台のような撮影をするけど,原作未読で何言ってんだって感じだが個人的には楢山節考のプロットの肝は何より「気持ち悪さ」にあると思うので,著しい対象化をするこの演出はちょっとグッと来ない.
では今村版ではこの楢山節考という物語自体に対してはテキトー書いてスルーしてたので,ここで改めて楢山節考の気持ち悪さとやらを書いてみやす.以下一応ネタバレです.





この場所では土着の信仰として楢山様なる山があって,老人は口減らしに山に捨てられ,そしてほとんどの人は信仰として姥捨てを当然に思っています.ほんで村の住人は盗みを働いた一族を袋叩きにして呪われた血族とか言うぐらいの,まあ前時代的な人間でして,そういう野蛮な信仰もありそう.今まさに捨てられんとする婆は,健康な歯を持ち,そしてそれを自ら折る.姥捨ての前に正に婆であることを全うしようとしていて,それだけの信仰なわけですね.その姥捨の際には厳粛な儀礼によって,いくつかの「掟」を伝えられて,その中には神話の定番である「見るなのタブー」が有るわけです.はい,いいじゃないですか分かりますよ.どこか遠くの恐ろしい信仰ですわ,ウィッカーマンかいなって具合の.しかしね,その後に掟を伝えるうちの一人がね,あろうことか母親を捨てる息子に対して,「掟として別に逃げても良いことを伝えて」んですね.思えば,かなり迫害されて姥捨から逃げた爺がいるんですけど,迫害されているとはいえ普通に村にいるし,孫とかは普通にさっさと山いっちまえ!とか言っていて,なんというか我々が素朴に想像する「或る神話に則った厳粛な儀式としての姥捨てではない」んですよねどうにも.なんせ,見るなのタブーも普通に犯すからね!「雪が降ったぞ!」とかいって息子戻っちゃうの.かといって,当然別に塩の柱にもならんし変わり果てたイザナギの姿を見もしない.そして婆も激昂するでもなく.
アブラハムが神の試練にイサクを差し出すというのは,神の現前とそれへの信仰心によって神話たるわけで,それほどの話じゃなきゃ絶対人間としてありえない話なわけで.この姥捨てもそういったものに類する筈の要素を持ちながら,何か酷く「さして神話でもない」ことが伝わってくるようになっていて,それだったらこの信仰って一体ってのが最高にキモいんですよ.神もいない世界でイサクがアブラハムへの儒教的な「孝」のためにアブラハムを殺すけどアブラハムがそれを望む信仰は基盤が揺らいでいる.人間としての何かを超越する行為であるからそんな残虐が許されるはずなのに,結局これはすごく人間としての何かに収まっていて,それなのにやっぱり姥捨てを実際にするところが気持ち悪すぎて,そんで人間の思想や物語の気持ち悪さをこのように表すかという,この作品すごいなと思う次第ですハイ終わり..
>|

あなたにおすすめの記事