ゴダール96年作品。日本公開は2002年7月。マルローの「希望」の舞台化を計画していた父親の映画監督と、サラエボで舞台上演を進めようとしている哲学教授の娘、従弟、メイドのサラエボへの旅。シェイクスピ…
>>続きを読む画面端に反射物を置いて人物動線の補助をしたり、かと思ったら川を隔てた会話が全く会話になってなかったり、かと思ったら台詞のオーバーラップで繋いだり…と空間の因果関係を大事にしてるんだかしてないんだかな…
>>続きを読む美しい映像と音楽が、残酷な現実と真正面から衝突する。
その落差があまりにも大きく、言葉より先に感覚で飲み込まれてしまう。画面の向こうで起きていることを整理するよりも先に、衝撃が押し寄せてくる。
芸術…
おそらく中盤の砲撃シーンのワンショットを除いては全てフィックス。厳格に管理されているであろう役者の一挙手一投足から捻り出される活劇に圧倒される。80年代のただひたすら光の美しさを追い求めていた時期と…
>>続きを読むhttps://mube2.jp/20100616/265
「無限は考えられない
どうして何かを無限と考えられる
私は
でも宇宙を想定すると宇宙の彼方にはまた宇宙がありその彼方にもまた宇宙があり…
8月のJLG⑥
虐殺、あるいは映画を監督することについて。
カミーユがサラエボで戯曲『戯れに恋はすまじ』を上演しようと旅に出る。一方、彼女の父のヴィッキーは映画『宿命のボレロ』を制作しようと…
dvdで繰り返し再見しました。改めて、本作は戦争、引用、音楽、哲学などゴダール特有の記号が散りばめられた絶望的なドラマの中から、観客に新たな何かを抽出させかったことが伺えた気がします。それは美しいシ…
>>続きを読むなにもわからない。
反復する音楽とその切断。爆撃、銃声、カットの切り替わりと時を同じくしない会話の音声の切り替わりとオーバーラップ、尻を突き出すカミーユとジェローム、砂浜に並べられスーツとドレスを被…