セブンス・コンチネントの作品情報・感想・評価

「セブンス・コンチネント」に投稿された感想・評価

新田畳

新田畳の感想・評価

4.1
日常への嫌悪が家族を襲った。
それはある日突然にやってきたものではない。

生まれてから側にずっとあったのか、
じりじりと気づかぬうちににじり寄ってきたのか、
それさえ判然としない。しかし確かにそれは自分たちを蝕んでいた。

家族は日常行為を誘うすべての道具を破壊した。
棚、テーブル、鏡、衣類、貨幣。
あらゆる誘惑が部屋から消え、家族は旅の準備を整えた。
ろ

ろの感想・評価

4.7

「”こうと決めたら最後までやり抜け”、お父さんの教えです。僕たちも、決めました」


今朝の食事は、とても豪華でした。
いつものコーンフレークは姿を見せず、焼き立てのパンに、お肉やフルーツのオードブル。
両親はシャンパンを飲んでいました。


世界のどこかでは今も、この瞬間にも、事件や事故が絶えず起きているだろう。
けれど私たちはいつも通り、当たり前に、目覚まし時計を止め、コーヒーメーカーのスイッチを入れ、食卓につく。
目の前でペチャンコにつぶれた車が吊し上げられても、横たわった死体が雨風にさらされても、私たちはただ音楽を聴き続ける。
この違和感は、拭っても拭いきれない。
そう、まるで”洗車”のように逃げ場がない、閉塞的で不安な気持ちになるんだ。

私が普段何気なくおもっていること・不快感・やるせなさ、この映画に詰まっていました。


すきなのはね、スーパーの場面。
袋づめされたお菓子、冷凍食品、量り売りの肉。コンベアーを流れてレジにゆく。そして店員がレジ打ちをする。もちろん機械的にね。
モノはただの数字と文字の羅列になり、金額がはじき出される。
この流れは映画だけじゃないよ、日常生活のこと。
だけどやっぱり違和感があるの。
モノ・キカイ・カネ、この中に”人間らしさ”はあるの?ってね。


コンピュータもクローゼットも、もうめちゃめちゃに壊しちゃう。
服をザザッと引き裂いて、ガラスが粉々に飛び散る。

そこでハッとしました。
というか、それまでの共感から我に返った。


やっぱり、”生きること”と向き合わなきゃだめだ、ってね。

本音を言わない(言えない)人々、BGMがうるさいだけの食卓。そりゃあ虚しく哀しくなるよ。あきらめちゃうよ。
でもね、”死ぬ”ことで はたして(この生活から)解放されるのだろうか。

急に現実を突き付けられた気がした。
自分がまだこの世界に未練がある、ということを実感してしまって、ちょっと悔しい。


「愛をこめて」と書くまでの、そのわずかな間。
そこに、私は一縷の光を見出してしまったのです。









( ..)φ 監督のことば

彼らは生きていない。
道具を使い、行為を繰り返す。
人は行為に縛られる。人生とは行為の総和だ。そして何も残らない。

破壊に没頭している。これを解放のための行為とも呼べるだろう。
だがあの行為は彼らにとっては解放ではない。
彼らは破壊することによって、自らの全人格を構築する。






鑑賞後すぐに浮かんだのは、陽水さんの「傘がない」。
何度聴いても鳥肌が立ちます。








※コメント欄 自主閉鎖中m(__)m
ちょっとずつ何かいびつなのだけれど普通の退屈な家族、それがふと気付いた瞬間には既に壊れていたとわかる瞬間が訪れる。退屈という自家中毒。

全てが終わってから「あれ、何がいけなかったんだっけ」と思い返され、過ぎた日常の断片がよくよく考えれば全て最悪だったんじゃないかという気さえしてくる。

誰も日常の苦しみを耐えるような素振りをほとんど見せておらず、本人たちもなぜ自分がダメになったか理解していないのではないだろうか。明示的な苦痛や抑圧がないからこそ言明しがたい感情の発露があるわけで。
でもどう考えても几帳面に畳まれたシャツとかだけでしんどい。

ラジオから紛争のニュースが流れても皆それを聞き流し、その後交通事故現場を通り過ぎるさいに母親が涙してしまうところは100点
何に苦しんでいるのか自分でもわかっていない涙って最高じゃないですか?

見たことあるハネケ監督作品のなかで一番カタルシスがあって、一番好きかもしれない。
出来の良さでは『白いリボン』だけど。

余談。
破壊の始まりの台詞が「順序よく系統立ててやろう」。超カッコいい
この「順序」に支配された家族がその限界としてむしろ順序を破壊しようとしている際の台詞なので強烈な皮肉にも思える。
noknk

noknkの感想・評価

-
車洗浄機で洗われてる車の中から見る光景が、小さい時すごい好きだったの思い出した
レコードを一枚一枚折るカットに胸が痛んだ…
ハネケの長編デビュー作。これを初監督作品でやるか、ハネケ。

ある家族の3年間のある3日間を描いた物語。この作品の一番の特徴は、その3日間に関連性がないことだろう。だからこそ、ラスト、なぜこの家族がその結末に至ったのか、説明がない。正直、ストーリーについてはわからない。どう考えてもわからない。ただ、ハネケ独特の長回しによって、明らかに日常が流れていたことはわかる。そして、面白いのは、序盤は登場人物の顔を映さず、今のハネケとは違って寄りの長回しが続いていくことと、シーンの合間に黒味が挟まれていることだ。黒味についての意図的な説明は無かったが、明らかに時間というものを区別しているのがわかる。つい、その使い方があったか、と思った。

テレビ画面の砂嵐を使って最期を演出した秀逸なラスト、何も起こらないが、どこか恐怖を孕んでいてとても恐ろしい影像だった。こういう恐怖の演出は、さすがハネケだと感心する。
netfilms

netfilmsの感想・評価

4.0
 冒頭、洗車場の機械の中にゆっくりと有人の車が吸い込まれる。その動きはあまりにも鈍重で、気の遠くなるような時間がしばし流れた後、若くない男女を乗せた車はゆっくりと走り出す。彼らが走り出した先には「オーストラリアへようこそ」の文字と楽しげな絵が踊る。このあまりにも不穏な空気を持った映画こそが、ハネケの記念すべきデビュー作である。オーストリア郊外に住む3人家族の3年間を3部構成で据えながら、やがて一家心中に至る家族の狂気を徐々にあぶり出していく。前半、カメラは人物の表情をまったく追うことがない。意図的に家族の表情をフレームの外に追いやりながら、何気ない家族の朝のルーティンを追う場面があまりにも異様に映る。思えば最初は車の後部座席からスタートしたこの映画で、主人公とその妻の表情が認識出来たのはだいぶ後になってからであり、ショットは常に対象を意図的に外し続ける。

 今作は3部構成になっており、1987年から1年ずつ進んでいくものの、その中で行われている家族の風景や祖父母への手紙、仕事の風景はどれも同じような構造を有する。3人家族がラストにどうしてあのような悲劇的な結末を迎えたのか?具体的な理由は今作の中に一切明示されていない。夫の仕事なのか?借金なのか?それとも妻の不倫なのか?娘の病気なのか?決定的な理由は遂に明らかにされないまま、陰鬱な空気の中で静かな凶行へと向かう。だが洗車場の3度目の描写の際、妻の閉所恐怖症が突然再発する。その鈍重な動きの中で、とうとう我慢出来なくなった妻は娘の手を握り、目に涙を浮かべる。ちょうど手前の交通事故で目撃したシートを被せられた死体の映像とともに、あまりにも印象的な場面である。クライマックスまでの30分間は陰惨極まりない。数年ぶりにあらためて観たが、心底辛かった。思えばこの映画において、他者が家族に介入することはただの一度もない。電話会社の人間が訪ねてくる場面はあるが、悲しいかな父親は外との繋がりを断絶する。そして粛々と死への準備を進める。

 衣服を引きちぎり、テーブルを叩き壊し、レコードを真っ二つに割り、最後には水槽までも破壊する。それは娘の内面の死を意味し、水槽から流れ出た水たまりの中で、魚たちは苦しそうに呼吸をしている。物質社会に呑み込まれた家族の風景、モニターに映された放送終了画面の不気味さが生の終わりを唐突に告げる。
labot

labotの感想・評価

4.1
「順序よく、系統立ててやろう」という言葉の通り、第七の大陸への旅立ちの為に一家自らの手で生活物が淡々と破壊されていく。生命の存続には道具を要する。衣食住への要求が増えたら増えただけ道具は増え、時間に比例し物には人間の意志や記憶が介入していくのだが、今作では一切の情感もなく道具は徹底的に「物体」として無機質に描かれる。ハネケは毎度だが執拗な長回しに加え、何か強烈な行動を行う人間の表情を見せない。洗車から始まる冒頭から逆光で乗車している家族の顔がいつまでも見えず、続く生活描写、そして破壊のカットは物を使用する手元の描写のみで、その地点での人間の感情というものは各々が汲み取らなければならない。道具に対する感情を一切排除されるため、物と登場人物の距離、観るものと登場人物の距離を意識させられる。家具も、金も、絵も、水槽も所詮物体であり、これらが人間を世俗へと縛り付けるメタファーであることは、後年の作品であるがファイトクラブと同様。生命は肉体と魂で構成されるという。一家が淡々と己の肉体や世俗性を支えるための物体を破壊していく過程で、"生"の呪縛から開放され、旅立ちへの足取りが軽くなっていく様子に不安を煽られながらも目が離せなかった。水槽破壊により生き絶えて行く魚。魚に対するエヴァの涙、エヴァ殺害後のアンナの涙、アンナ殺害後のゲオルグの嘔吐。これまでの感情が見えない無機質な破壊活動とは一転し、他者の肉体の死を目の当たりにすることで一家の人間らしさを垣間見ることになるのだが、皮肉にもこれらの様子に安心せざるを得ない。

ショーに幕が下りたならば、テレビ画面は砂嵐に切り替わる。何の変化もない淡々としたノイズが無音の空間に響き続ける。日常生活、淡々と同じことが繰り返されているようで全く同じ日などは無く、セックスしたかしてないか、嫌なことがあったか無かったかくらいの変化(ノイズ)は生じる。旅立った先、「第七の大陸」は果たしてユートピアだったのか、一家の魂は本当に解放されたのか。この不安定な世界観の中、心をかき乱すように鳴り響くノイズを聞いていると、死後の世界もこれまでの地続きのように思えてきて恐ろしい。ハネケは死が見せかけの希望とでも言いたいのだろうか。もしかしたら、死が肉体を開放させようと、魂を解放させることはできないのかもしれない。こればかりは死ななきゃわからんので、死は甘美と言われる所以なのだろうな。
misato

misatoの感想・評価

4.2
最初のシーンから、ああハネケワールド始まってしまった という感じだった笑 とある1日を切り取った3年間分のつまり3日間だけで結末まで持ってく作品。もちろん最後までみても分からないことだらけで観客は取り残されるわけだ。1つ1つのシーンの意味を誰かと議論したいですねー
waka

wakaの感想・評価

3.7
この圧倒的な突き放し感に大混乱。
ありふれた生活、突然静かに狂い出す日常と家族。
表情を排除した後半の破壊シーン‥感情や背景が読み取れないからこそ、答えがありすぎる。
間違いなくハネケの傑作。最高で最狂。

「解答はそれぞれ観客が見つければいい」。素晴らしい狡さ。
non

nonの感想・評価

3.9
一家心中を成し得るための数日間を淡々と描いた作品

素晴らしい
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