野蛮人として歴史に名を残しても構わないの作品情報・感想・評価

野蛮人として歴史に名を残しても構わない2018年製作の映画)

Îmi este indiferent daca în istorie vom intra ca barbari/I Do Not Care If We Go Down in History as Barbarians

ジャンル:

3.9

あらすじ

「野蛮人として歴史に名を残しても構わない」に投稿された感想・評価

chiyo

chiyoの感想・評価

4.0
2022/6/14
タイトルは1941年、ルーマニア軍の最高指導者が宣言した言葉で、その直後に“オデッサの虐殺”が発生。その負の歴史をショーとして再現し、現代人が罪と向き合うことを提案したい女性演出家が主人公。が、内容が内容なだけに困難が多く、彼女の私生活も雲行きが怪しい感じ。そして、彼女の思想を軸としたショーは一種のプロパガンダとも言えるけれど、終盤のドキュメンタリータッチな一連のショーはさすがに見応えがある。ただ、そのショーを見る観客の反応は、現実に近いものなのか想像のものなのか、その見極めが非常に困難。もし前者であれば、とてもじゃないけれど擁護は出来ない。あの反応が正しいと思う?という、現代人への疑問の投げ掛けであれば良いのだけれど。
「自分も同じなのに気づかない」マリアナ。戦車の前で長々と議論する光景が画的に好き。ラドゥ・ジュデ監督作品、もっと観たい。
ジェレミー・デラーの≪オーグリーブの戦い≫よろしく、この映画のもっているドキュメント性、そしてアートとしての矜持を映画に昇華している気がした。

00年代にヨーロッパのアートで起こり始めた
歴史への直面、再現に留まらない再認識と修正。
そして今日のポストトゥルース。
皮肉なまでの職業アーティスト。

本質的に問題を提起することは
その不可能性が伴うんだろう。
それを乗り越えるには今作のような挑戦の積み重ねからしか始まらない。
diesixx

diesixxの感想・評価

-
ルーマニアのユダヤ人虐殺を告発する演劇を準備する女演出家。歴史修正や矮小化、別の事例を持ち出した相殺、加害責任回避、戦争犯罪の正当化、レイシズムなどを根拠にさまざまな難癖をつけてくるおじさん(一部おばさん)との議論(時々手が出ちゃう)が続く。
最後30分はゲリラ的な演出を含む本番の演劇をライブ感あふれるデジタル映像で見せる。ユダヤ人虐殺の場面で拍手と歓声が湧く観客の反応など本当にドキュメンタリーのように見えるが、フィクションならやや偽悪的に見えるが、本物ならかなり胸糞。
しつこく主人公に「歴史」をマンスプレイニングし、あわよくば酒に誘おうとする有害おじさんがキモい。加害と向き合わないあの感じ、日本で見かける光景で、ゾッとする。
イワシ

イワシの感想・評価

3.9
イオアナ・ヤコブが十字を切った瞬間、アクションつなぎによって画面は中継の如く鮮明な映像へ切り替わり、編集やカメラワークも映画的なものからテレビ的なものへ転換する。そうなってしまったが最後、このショーもテレビで放送されていたニコラエスク『鏡』のように受容されるだろう。

演劇/ショーに向けての準備やそれに伴うトラブルを描く前半と上演そのものをカメラに捉える後半という構成は、濱口竜介『親密さ』を連想させるが、ラドゥ・ジュデは上演に対する観客の反応をつぶさに挿入する。
昼寝

昼寝の感想・評価

4.0
『アンラッキー・セックス』『アーフェリム!』とこの監督の作品を見てきたが、これがダントツで面白かった。主人公の演出家が参加者と口論を繰り広げる長回しの途中で雨が降ってきて、突然ブラスバンドの音が聞こえてくる、この一連のカオス感素晴らしい。水掛け論の最中に実際に水をぶっかけるセンスは最高だけどルーマニアにもそんな言葉があったりするんだろうか。演出家が軍事用ヘリコプターの入り口に座りながら弁当を食べるフィックス撮影なんかも画として好き。終盤でドキュメンタリータッチの映像に変わる部分も、変化の瞬間にしっかりと主人公を画面に捉えていることに才気を感じる。

しかし、映画と政治の関係が複雑だということは百も承知で、率直に思ったのは今のところあからさまに「リベラル」的な映画はどうしても好きになれないということ。いくつかのプロパガンダ映画にも同じことを感じるのだが、特定の思想を批判や排除するために大勢の人が集まって映画や演劇を作っている、ということに嫌悪感がある。大勢の人が集まって、というのが自分の中では嫌で、これが絵や文章であれば全然構わないのだけど。例えば、この映画で「馬鹿な民衆」を演じている役者の中にはおそらくリベラルも何人かはいるはずで、そこにはSNSにおいて特定の集団を貶めるためにそれに属する人物になりすますことと似た気持ち悪さがあるはずだが、それは一切顧みられない。自分たちが行っている表現への批評性が欠けている気がする。更に踏み込めば、プロパガンダ映画の多くがアクションやラブロマンスを中心に描きながらも時代や環境の要請で権威主義的なイデオロギーを纏わなければならなかったのに対して、こういう映画の多くは進んで「説教」することそのものが目的になっていることも多くて、誤解を恐れずに言えばプロパガンダよりも悪い、とも考える。
そもそも、リベラルの立場であるはずの主人公が旧態依然的な恋人を「アーリア人」と罵ったり、「戦争の歴史を消費する馬鹿そうな観光客」に平気でアジア人を使っているあたり根本的な何かがずれてるんでないの、という気がしないでもないけど。
観客と演者の間を始め、境界が多層的に張り巡らされていてかなりゾクゾクした。
歴史を語る際に、文献を頼りとして「真実」を手繰り寄せるその仕草から、歴史そのものの欺瞞を抉り出していくショーの在り方。ショーの観客や映画の向こうの観客をその在り方に巻き込んでいくことが志向されているように思った。
ただ、その真実のあり方の対比として、スピルバーグのシンドラーのリストにあるフィクションの描き方を置くのはあっているようでお門違いなような気もした。フィクションが観客への喚起し得る真実は必ずしも、こういった学術的なやり方によってだけではない気がしたからだ。
JAIHOで配信あと1日とあったから何となく観始めたら意外にも(?)面白くて最後まで観てしまった。
政治的メッセージを伝えたいんだろうけど、ちゃんと映画として面白かった。
長めの映画だけどダラダラしてなくてテンポがいいのとヒロインがチャーミングなのが大きいと思う。
レビューを書いています!

https://ken-ken-pa-pa-20220408.hatenablog.com/entry/2022/06/11/022151
Atsui

Atsuiの感想・評価

4.0
途中ちょっとゴチャゴチャうるせえよってなったけど、全体を通して見ればそれらの不毛なやりとりは後に来るより大きな不毛さのための装置だった。この主人公この後どんな気持ちで今回のこと思い出すんだろ。出さないかな。出さなそう。
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