浜の朝日の嘘つきどもとの作品情報・感想・評価 - 2ページ目

「浜の朝日の嘘つきどもと」に投稿された感想・評価

アケミ

アケミの感想・評価

3.8
期待よりすごくよかった。ドラマの前日譚てことは知らなかった。
大久保さんて女優どうなんだ、と思ったけどぴったり。めっちゃいいキャラであさひとの関係いい感じ。後バオ君日本人なんだな。
名画座的な映画館近くにほしいな〜。二本立てって普通だったんだよね?今シネコンで1日に二本とか見ることはあるけど結構疲れるから、凄いなと思う。しっくりくる二本立てもいいけど、とんでも組み合わせな二本もいいな。個人的には家でDVDとかスマホで配信サービスとかは、どうしてもながら見になってあんまり味わえないので映画館が無いと困るなぁ。
gori3

gori3の感想・評価

4.7
今の私にどストライク!社会問題にも適度に触れつつ、それでも本筋がしっかりしてるので上手に添えてある感じ!そして、大久保さん。あなたがMVP!私好みのお話でした!
お涙頂戴…で終わらない物語、ほんとに良き映画でした!(;´Д`)
しお

しおの感想・評価

3.5
あさひの恩師茉莉子先生は、ひととの距離を詰めるのがうまいように見えるが、本当に大切な人に対して自身を開示する事が苦手であり、最期の瞬間まで恋人が自分を愛している事を知らなかった。
自死の直前に映画を見に来た弟の死を「映画は人を救えない」と解釈してしまう森田支配人、
仕事で自宅を顧みなくなってしまったあさひの父親、
そしてその父親の奮闘が家族を守るためだということを受け入れられないあさひ、主要な登場人物はすべてエゴの塊ですね。
実はみんな映画館を通じて繋がっていたのに打ち解けることができないしこりにしこりまくった登場人物が、
映画館を立て直すという大義のもとに集い心を解きほぐしていく、ハートフルな映画でした。

そんなにうまいこと繋がるかな〜個人的に映画館が取り壊されるラストの方がよかったなあ〜というリアリティ重視のわたしが邪魔をして評価を下げてしまいましたが、良い映画でした。また映画館で観たい!
yazy

yazyの感想・評価

4.8
思いのほか、先生に泣かされる。

今の時代に映画館で映画を観る価値。
それぞれの地元の映画館を巡りたくなる。
コロナ禍でのカオス生活で一番困ったのは
映画館に行けなかった事を思い出します。

    本作を見て… 泣いた💦
 色々🥸現状打破が困難になりがちな昨今

改めて劇場映画の大切さ、愉しさ実感した⁉️
キャストの方々の演技、作風に感動した🥲
    面白く幸せを与えて貰った‼️
kyohei

kyoheiの感想・評価

4.0
建て替え寸前の映画館を立て直す為に高畑充希演じる浜野あさひ=茂木莉子が奮闘するお話でした。

お話的には柳家喬太郎演じる支配人と映画館を立て直す為に、街の人と交流したり、チラシを配ったり、クラウドファンディングでお金を集めてなんとか建て替えを止めよう!とする現代パート。

そして大久保佳代子演じる高校の先生との出合いをきっかけに父親の企業がきっかけで震災成金とやゆされて自殺寸前だったのを止められて‥映画好きな先生の影響でだんだんと映画好きなっていく‥そんなお話でしたよ。

本来のフィルムでみると闇を半分みていたくだりで‥だから映画好きには根暗が多いには笑ってしまった。

確かに映画ではお腹いっぱいにはならないけどなんかこの映画をみたのをきっかけでやる気とかを貰っている派の自分としては、良い作品だと思いました。

柳家喬太郎さんとのやり取りはもう落語みたいで楽しかったし、大久保佳代子との掛け合いももう面白い会話ばっかりで幸せな気持ちになりました。
kuro

kuroの感想・評価

3.9
映画愛に溢れすぎな映画。
歴史ある映画館を畳む決意をした森田のもとに突然現れたモギリコと、彼女の高校時代の恩師との話を交互に、映画館の存続をかけて奔走するストーリー。

まずサバサバしてるようで弱った者を見捨てず、しかし男運のない愛すべき先生を演じた大久保さんがお見事。恋愛パートを主人公ではなく先生が担当なところもまた面白い。まさに笑って泣けた。
少しとぼけたオーナーの森田と、口の悪いモギリコとのテンポ良い掛け合いも楽しい。

モギリコを映画好きにした先生もきっと誰かから影響を受け、いつか死んでもその意思はまた別の誰かに続いていく。
見終わったあと、この先一つでも映画館が減ってほしくないと心から思うほど感情が熱くなる映画だった。

コロナでミニシアターや配給会社が減っていく現在。みんな当たり前にずっとあると思っているから無くなることが決まってから惜しんでも遅いというセリフには、閉めざる終えなかった映画館で悔しい思いをした人々の言葉を代弁してるようでかなり刺さった。

たまたま出張先で初めて行った映画館も単館系だったからより感情移入してぐっときた。
近所にあれば通いたい浜松のシネマイーラ。
「映画館がなぜ必要なのか」を訴えかける、スクリーンで映画を観ることが普通と考える者にとっても、とてもとてもありがたい映画。
配信映像で映画を楽しんでいる方々にも、是非スクリーンで観ていただきたいと思う一本。
~映画館で暗闇と残像を見つめていたって、そりゃ、お腹は満たせない。でも、ハッタリ使っても正論に立ち向かえと、心が叫ぶのよ。~

胸に抱えた「空虚」と、それを取り繕うかの空回り同然の悪あがき。「ふがいない僕は空を見た」以来、描かれる完璧には程遠い、欠点の目立つ人達に惹かれてタナダユキ監督作品を、追いかけている。

前作「ロマンスドール」も意欲作ではあったけれど、題材に対して、ちよっと散漫だった印象が残りました。そんな流れで本作は、福島県に実在する、開場から1世紀超の歴史が刻まれた「朝日座」を舞台に、創作された映画館と映画に係る人達の物語である。

潰れかけた映画館を立て直すストーリーの骨子から思い起こさせるのは、お客が離れて立ち行かなくなった現実を、賑わっていた劇場の在りし日が、燦然と光り輝くように祭り上げてノスタルジー色が掻き消してしまう、感動の安売り的な流れ。更に、著作権的な縛りもあって、実在する「映画作品」を取り上げ難くて。誰もが知る有名作品では、劇中、触れられないし。架空の作品をでっち上げても、リアリティが薄まって、見る人との間に溝が乗じてしまうし。スクリーンに、うつしだされるまでは、前作の挽回も、難しいかと懸念も先立ったりして。

しかし、本作が開巻して間もなく、それは、雲散霧消されて、すんなり、作品に没入できました。3.11の震災が、地元の方にもたらした、知られ難い不和。そして、このコロナ禍で私権を奪われ行動の自由が限られた結果、不要不急で窮地に追いやられたエンタテインメント産業という現実を照らす一方で、使命や思いに突き動かされて、出まかせでも、どうにもならない現実の壁を前にのたうち回る人達が、愛おしく映って来て。安易な「結末」は、勘弁だったのですが、本作の終りには、きちっと、松竹映画の大巨匠作とは別の「キネマの神様」が、降臨してくれて。決して、お腹を膨らませてはくれないけれど、映画には、人を救う何かがある事を示すためには、「朝日座」の扉を閉ざして終わらせては、ならないのである。

長きに渡って地元に残る「名画座」として、愛されて来た「朝日座」だったが、東北震災を乗り越えたものの、今の厳しい状況には打ち勝てなかった。3代目の館主、柳家喬太郎さん扮する森田は、通りから奥まった場所に立つ「朝日座」の玄関前で、長い間に溜まり積もった昔の映画の上映フィルムを、自責と悔しさを抑えながら燃料缶の中へと燃やし捨てていた。そこへ、若い女性が、通りからキャスター付きスーツケースを持って駆けてきて、必死の形相で、森田がフィルムに火を付けるのを止めに掛って来た。突然の出来事に上気した彼が、まず、彼女に名のる様に求める。

若い女性、つまりは高畑充希さんなのだけど、一旦「朝日座」の閉ざされた切符売り場の窓口に視線をやると、茂木莉子(モギリ)だと名乗る。「神の使い」と称して、孤児院救済の強引な手立てを正当化した、ブルースブラザースの如く、森田のお爺さんから、「朝日座をツブすな」との遺言を伝えに来たと、勢いで口について出た出まかせでもって、閉館への未練を断ち切れていなかった森田を巻き込み、茂木莉子は、クラウドファンディングを活用した「朝日座」復活計画のために、しゃにむな行動に傾倒して行く。

茂木莉子は、古き良き映画館を守る「一点」に邁進するため、自分自身の事を伏せる。その事を突かれない為の「防衛」からか、年配の森田に対して、突き放す感じのサバサバした口調で話す。そして、気の優しい森田も、突然の行きがかりで加わって来た映画の援軍を、不平を漏らしながらも受け入止めて、同じように再会を軌道に乗せるべく前のめりになって行く。「黙れ、ジジイ」の文字に起こすと非礼な高畑さんの投げ掛けも、しょうがねぇなぁって感じに、柳家喬太郎さんは聴くのだけれど。噺家ならではの、懐の深さで、若い娘の勢いを包み込むかのように、二人のやり取りも、次第に心地よく響きます。

コロナ禍での撮影もあったのかもしれませんが、「朝日座」を正面に据えて、二人が、画面の左右両端に立って芝居をするショットが多いのですが、互いの素性は置いておいて、廃れた街の映画の灯を再び掲げたいという「願い」だけを共有しているかのようで、二人の間に気持ちのいい空気が流れている風に受け取れました。

作品で見せる、映画館に掛ける既成作品についても、サラリと触る扱いで巧くすり抜けて。(その中で、「トト・ザ・ヒーロー」に、「大誘拐」と、気に入っている作品を取り上げて貰ったのにも、くすぐられました)映画全盛期と違って、更に便利になって、嗜好も多様化するなか地方の映画館存続が、簡単な訳が無く。「映画館が、なくなる時になって、閉館を惜しんで。何時までも、身近にあるものだと思っている」と、大手以外、軒並み閉館に追われている、映画館が置かれた現状にも、立て直しに向けた悪あがきの中で、触れられていて。面白さで貫かれている中、現実を見据えていて、浮足立ってなかったりする。

作品は、映画館復活に奮闘する二人や、地元民の描写と併行して、茂木莉子と名乗る彼女が、どうして傾いた「朝日座」の立て直しに現れたのか語られる。彼女の本当の名前は、このタイトルにも、織り込まれているのだけれど。その名前は、なんでもなかった家族が、「形骸化」してしまった切掛けを現すものとしても、記憶されていて。

詳細は記述しないけれど、3.11の復興事業が実施されて、父親の光石研さんは、郷土の為と新規事業を起こして、福島原発事故からの回復に尽力するのだけれど、復興に乗じて金儲けしたと、周囲から批難を受けて。母親は、体の弱い弟に掛かりっきりになるあまり神経を病んで娘に辛くあたり、父親は、起こした事業を完遂するため家を出て、茂木莉子は、高校二年生の3学期には、「孤立」して、世間に対して絶望していた。

そんな彼女を救ったのが、大久保佳代子さん扮する高校教師、田中茉莉子だった。熱血とか、人情肌だとか教師の理想像から、田中先生は、程遠く。飄々と、サバサバしている。校舎の屋上で、思い詰めて立ち竦んでいた莉子と、出くわしたのだけれど。「人間、どうせ、長くは生きないんだから」と、自分の憩いの場として使っている、元映画研究部の部室だったらしい部屋へ、彼女を伴って、置かれているDVDプレイヤーで、何度も見返すお気に入りの映画を見せる。「本来、映画館で見る映画というのは、銀幕に映る映像と暗闇で成り立っていて、感動を貰う映画館の半分は暗がりで、そこに引き寄せられたりする映画好きも、ネクラだったりするのかも」とか説いて、田中先生は、莉子を映画好きに導いた人で、「朝日座」の立て直しは、恩師の望みでもあったのだった。

母親のツテを頼って、高三で莉子は都内へ引っ越したのだけれど、新しい生活環境に馴染めなかった彼女は、夏休みに家出をして、田中先生の住まいを訪ねる。自宅の前に立つと、中から若い男が出てきて、その後を部屋着の先生が追いかけてくるという、失恋の現場に、いきなり出くわしてしまって。聖職に身を置きながらも、欲望というか、男性を追い求める本能に忠実だけれど、熱意故か、すぐ相手に飽きられ捨てられる。本来、見せてはイケない弱みも、全く隠す素振りがない。そんな、だらしない田中だけれど、莉子を自宅に招き入れ、ドロップアウトした彼女に寄り添う。普段、TVのバラエティで見せる大久保佳代子さんと、全くの等身大というか、あて書きしたかの役のハマり具合。

本来、恩師というのは、完全無欠の人格者として作品の「良心」に祭られるものだけれど、全く、先生らしくない。欠点の多い人達をこれまでも、タナダ作品で何人も見て来たけれど、中でも、この恩師は、出色だった。田中先生も、父親と折り合いが悪く、家を出て、福島に身を置くことになって、莉子と重なる部分がある。

進行形の傾いた「朝日座」を立て直す中で、腹の足しにもならない映画館の「灯」を守るという理想論と、目前にある「生活」を維持して、日常を続けて行くという現実論の相克が、露わとなります。実は、街中のいい場所にある「朝日座」は、取り壊し後、スーパー銭湯とリハビリ施設が立てられる予定があったのだが。それを反故にしようと、二人は空回りな行動をしてしまっている事に、世の中には、自分たちの行いは、望まれていないのではと、理想と反対の揺り動かしが働いて、ためらいの気持ちに囚われる。そして、もう一つの「足枷」は、他人の繋がりよりも、親と子の「血」の繋がりが、生きてゆくにあたって、何よりも、先立つという事。

高三の夏休みを田中先生の元で過ごした事で、「血」の繋がりをタテに、母親から恩師へ迷惑を掛ける事態を招いた莉子だったので、森田に名乗る際、偽名を語ったのは、過去への反骨や決別の現れもあったのかもしれない。個人の在り方が、尊重されるようになって来ているとはいえ、世がコロナ禍となっては、社会全体の存続、あり方に掛かって来て。映画館の暗闇に身を置いて、投射される残像に見入る事を「良し」とするより、家族を単位に、体面を保ちながら、将来に続く生活のタネの確保が、どうしたって優先されるのは、自明の理。


さすがに、この作品も、その辺の分別をわきまえていて。
打つ手も尽きて「朝日座」を目前にして、莉子と森田が、両端に立って、これまでの「健闘」を称え、語り合っている。でも、映画館が、不要だったとは認めがたい。共通の目標に向かう日々を重ねたのもあって、すがる思いから、何かを期待して振り向く動きがシンクロする。
演者同志の間が合った、その一コマは、奇跡の訪れを絶妙に表現していて。

映画へ向けた愛や、映画界へのエールを掲げるためにも、閉幕には、「福音」が必須だけれど。人情や、ノスタルジーだとかで、絵空事に染め上げるのではなく、現実との折り合いを付けたという事でも、そこでは、「血」の繋がりが、モノを言うのは、莉子が、家族を受け止め一歩進むためにも、あるべき帰結でしょう。(判り難くて、スイマセン)

スクリーンに写される残像と暗闇を見つめる理由を、湿っぽさとは無縁に、可笑しさ、愛おしさ、暖かみのうちに、あらためて、知らしめてくれる。映画館が、何時までも、そこにあるとは思っては、いけません。田中先生が、莉子と過ごしたひと夏を「一人の迷った女の子を、ここまで映画好きに出来たのは、上出来かな」って振り返る。映画館に通う事と並んで、心掛けるべきは、身近な存在に映画をかたる事と、思いをあらたにさせてもらいました。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
ジョイランド三島 cinema3にて
今日も映画館に足を運んでいます。半分は暗闇を(ただフィルムでは無くデジタルだと違うかも)誰とも知らない人と楽しんでいます。今年に入って映画館で見た映画は19本目でした。この映画を見てたら「何で映画館に来てるんだろう」とか考えてしまいます。私は、自分を忘れてスクリーンの中の主人公と同化してはらはらどきどき、泣き笑いする時間を楽しんでいるんだろうなと思います。

昨年はコロナで、ミニシアターのクラウドファンドに協力したことを思い出しました。この映画を見た後は、「がんばってください」ってもぎりさんに言いたくなりますね。拍手したくなります。

大久保さんに本気で泣き笑いさせてもらいました。高畑充希さんの悪口のテンポも良いし、大久保さんとのシーンはまさかアドリブって思えるくらい自然でした。2本だての名画座、懐かしいですね。ここ何年も名画座自体行った記憶がありません。杉作J太郎監督作を名画座でって!?

人生なんて、何が正解かなんか誰もわからないし、何が切っ掛けでどこに行くのかなんてわからい。一心にやってみるしかないのでしょう。

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