ボストン市庁舎の作品情報・感想・評価 - 3ページ目

「ボストン市庁舎」に投稿された感想・評価

shiori

shioriの感想・評価

4.0
ボストンと名のつく会社で働いてる私としては観なければならなかった本作(こじつけ)
私を除く家族全員が地方公務員で、
「お爺さんお婆さんの話が終わらない」とかいうぼやきも散々聞いてたので、
ネズミ駆除の件で身の上話を始めちゃうおっちゃんの姿はめちゃリアリティあった。

観ながら瞬間的に思ったのが、
「これくらいして、やっと "国民(市民)の声を聴く政治"って言えんじゃない?」
ってことで。
まあ国のトップと市のトップだと仕事の規模とかレベル感も違いすぎるし何とも言えないものの…
これくらい目線を一般市民に合わせられないと、傾聴は謳うもんじゃないだろうなとか思いました。

それにしても、ウォルシュ市長は色んな市民コミュニティに顔を出して市民の声を聞いてるのに、我が区の区長には一度だって会ったこともないな。
そう思って一瞬区側のせいにしかけたけど、いやいやそれは自らリーチしようとしない自分も悪い、と思い直し。
どのレベルの政治においても、政治家と一般市民との対話は不可欠であり、それは何方が持ちかけても良いはずであり、持ちかけられたらちゃんと議論すべきであり。
その素敵なお手本を見せてもらった気がした。
河田

河田の感想・評価

3.1
自分たちが暮らす街をより良い場所にするため、対話と実行を諦めない市長、市役所員、住民たちの姿を、腰を据えてじっくり見せる作風は素晴らしかった。だが、果たしてここまでの長さが必要なのかや、市のプロパガンダ的な目線がどこまであるのか、この映画だけで判断するのが難しい。

最後に、党大会の出席者をめぐる、いわゆる政治らしい対話が入っていたものの、全体としては理想を描く目線のみになっているのが、ドキュメンタリーとして中途半端な印象だった。
ozawa

ozawaの感想・評価

4.0
アメリカ人のしゃべりに圧倒される4時間半でした。
全員が自分のストーリーを真摯に語り、全員がそれをしっかり受け止めようとしている。
たったそれだけの事がこんなにも美しいとは思いませんでした。
Azusa

Azusaの感想・評価

4.0
ボストンの公共とはどういうものか、どのような施策が行われているのか。この作品では、具体的な場面をいくつも提示してくれる。

どんな公共を私は望むのか?考え直せる映画。
最近までちょっと腰の調子が良くなかったから敬遠しており、ようやく気にならない程度になってきたから挑戦することとしたけど、良くも悪くもフレデリック・ワイズマンという趣の作品になっていたように思えた。

というのも大半のシーンを何らかの会議や集会の場面に割いており、話す人間がメインとなる点は実にらしいところではあったのだけれど、個人的には合間に挟まれた外側を撮った場面の方が面白く感じられたので(特に粗大ゴミもお構いなしにゴミ収集車の中に入れてめちゃくちゃにするところとか)、その比率が少なめだったのは残念でもあった。

しかし人間メインの映画ながら4時間以上の尺をまるで長いと感じなかった点は流石と言わざるを得ず、内容はざっくりとしか思い出せないものの多数の講義を一気に見た以上の面白さがあったのは良かった。

それにしてもフレデリック・ワイズマンの記録映画では度々思うことだが、アメリカに住んでる人間ってあの市長みたく喋りが達者な場合が日本とかより多い気がする。
林

林の感想・評価

-
やっと見れた。
遠景(公園)から始まり、隣のビルの影が落ちている大きなビルが来たので、いつも通り次は、道路を行きかう車が来て、掃除の人が床をモップで拭いていて、次に会議室で会話かな、と思ったら乗用車の移動する音は聞こえるけど、車自体は出てこない。掃除の人も出てこない。4つぐらいの場面を過ぎ、1時間くらいたって初めて道路を走る車が出てくる。ここでやっといつものリズムを得た気になれたし最後まで会話場面のつなぎには車が出続けるけど、今回は走る車の印象は薄く、ボストンの風景の方が印象に残っている。見ている間もそれを楽しみにしていた。季節は秋から冬にかけて。
会話場面も、いつもどおり話している人とそれを聞く人の顔が交互にうつるのだけれど、聞く人の顔がなんか普通で、ただ聞いているだけの顔だった。いつもなら聞く人の顔に何とも言えない味のようなものがあって、次はどんな顔が見られるのかとわくわくした記憶があります(そんなことはないかもしれない。最近自分の記憶に自信がない)。聞いているのか聞いていないかよくわからない顔はなく、ちゃんと聞いている顔をしていたし、話は聞くが全然賛成じゃないような顔はなく、そういう顔をしている人は手を上げてしゃべりだす。何を考えて聞いているのかわからない人、へぇこんないい味出してる顔の人がいるんだなと思ってしまう顔の人、そういうのがない。今回は話を聞いていた人の顔をほとんど覚えてない。
市長は発声がよくて聞いていてほんと気持ちいい。歯切れがよく内容も賛成しかない内容でこんな人がウチの市の市長だったらなぁ!と思う。思うんだけどそれはそれで以前と違って平板な気がした。一番最初出てきた時の会話は長くてほとんど堂々巡り寸前の話の進め方で延々としゃべっていてこれ一生話が終わらないタイプの人だと不安になってくるのだけれど見終わってみればそこが一番おもしろかったかもしれない。市長はこの後出過ぎというくらい何度も出てきて短いいい話をするだけの人になってしまった。いつもならもっとグルーブがあるというかどんどん話が盛り上がってぐいぐい行くみたいな流れがあったような気がする。別に以前もそんな流れは無かったかもしれない。それを確かめるために図書館、美術館、オペラ座あたりではなく、高校や臨死をまた見てみたい。けどいざ上映されるとなっても腰痛とか時間とかで見ない言い訳を考えるかもしれない。
ゴミ回収は最初カゴが入ったときはそれはあかんやろと思ったらメリメリ飲み込まれてすごいなと思ったら次はガラスでそれは無茶やな破片飛び散るしと思ったら金属柱でできたワゴンみたいなのも積まれて絶対その鉄の棒が潰れないし引っかかるからこれはもう絶対無理。絶対止まる。何を入れたら回収車が壊れるのかもわからない人が回収の仕事をしてるというエピソードかな?と思ったらガラスと金属棒のワゴンがいとも簡単にまとめてのみ込まれたので回収車のパワーすごいなと思ったら次はベッド丸ごと置かれたからあぁ~そういう回ね、そういうやつね、めっちゃコントみたいなことするやんと思った。
ヨーク

ヨークの感想・評価

4.5
先日書いた『MONOS』の感想文で「観てから10日近く経ったからよく覚えてないんだよね~」と適当な感想文を書くための言い訳をしたわけだが、この『ボストン市庁舎』は観てから今日感想文を書くまでに2週間以上経っているにもかかわらず、ついさっき映画を観たかのように迷わず感想が溢れ出してきて余裕で書けてしまう。ちなみに俺は本作の監督フレデリック・ワイズマンに関しては全然詳しくなくてこの『ボストン市庁舎』が多分4本目の作品だと思う。多作なワイズマンに対して4本しか観ていないというのは(日本では彼の過去作を観る機会が中々ないとはいえ)明らかにワイズマン初心者なわけだが、でも本作でかなり彼のことは分かったような気がしますよ。
それが二週間前に観た映画の感想をまるで観たばかりのように書ける理由でもあるのだが、ワイズマンという人はあれですよね、ものすごく明瞭かつ明白で無駄のない完璧主義的な作品を撮る人なんですよね、多分。だからとても分かりやすいの。観た人の解釈に任せるような曖昧さは一切なくて完全に意図されたものしか映画の中にないんですよ。つまり数学の数式のように全てが明瞭なものとして描かれていてそこから導き出されるテーマや問題もハッキリしているからたかが二週間程度の時間で映画の内容を忘れちゃうことはないんですよ。
俺が過去に観た作品でもそういう傾向はあったが本作『ボストン市庁舎』では特にその傾向が強かったと思う。この映画が語られるときにはまずクソ長い274分というランタイムとリベラル系の知識人や映画メディアが称賛するような進歩的な内容が目につくが、それらは別に映画の本質とは関係なくて本作は(というか多分ワイズマン作品はそのほとんどが)強固な構造とその構造を繋ぎ合わせるための個々のシーンをこそ観るべき映画なのだと思う。
ここで一応本作がどういう映画かということを書いておくがタイトル通りにボストン市庁舎に取材した社会見学的なドキュメンタリー映画です。以上。
んでよく言われてるところのリベラル的な人々が称賛しているという部分にしても、確かにワイズマンは左派的でリベラル寄りの思想信条は持っているのは間違いないと思うが、彼は別にリベラル礼賛のようなポジション的な映画を撮りたいわけでは全くなくて、ワイズマン的にはただそこにあるそのままの被写体の構造やその被写体と周囲の力学的な関係性などをカメラに収めたいのだと思いましたね。そこにある透徹された目線というのはむしろ市町村の規模から始まり国家という巨大な共同体にいたる人間の活動領域にわたる有り様を解剖学的に描いているものであって、一定の政治的なポジションに終始するものではない。人や金やそれらにまつわる思惑が市政の場から市井の現場へとどのように流れて行ってそして循環していくのかということを描いた映画だと思うよ。だからぶっちゃけワイズマンとしては本作で描きたかったことは民主主義という政体に限った話ではなくて、共産主義だろうが封建制だろうが寡頭制だろうが神権政治だろうがそのスタイルが問題なのではなく、人や金や文化といったものが社会の中でどのように流通していくのかを撮りたかったのだと思う。その対象としてもっとも手軽というか身近なものが市政の現場だったということであろう。
だからそこで全体の中の部分として描かれているリベラル的な理想の部分だけを観てしまうと、その全体像や他の多くのものを取りこぼしてしまう映画だよな、とも思うんですよね。むしろワイズマンは半端なリベラル野郎共がお題目のように唱える社会的弱者救済などのようなフェイズよりも遥か先にある、共同体を完璧に運営するための理想の人民といった、ややディストピアSFの香りさえするような先進的すぎると言ってもいいほどの身も蓋もないものをこそ観せようとしてきているような気さえする。
映画の途中で描かれる帰還兵たちの集会の件でその辺のことを思い知らされたのだが、ワイズマンにとっては軍事だろうが社会福祉だろうが医療だろうが住宅関係だろうが交通問題だろうがそれらすべての社会的な機能を十全に全うするためには昆虫的と言ってもいいようなシステマチックさが必要だと言っているような気もするんですよね。とにかくまず何よりも強固な構造とシステムが構築されてその上で完璧に走るプログラムとしての人間がいれば理想的な社会になるだろうという身も蓋もない持論を展開されているような映画なのだが、だがしかしその映画の構造自体も完璧に無駄のない造りになっているからワイズマンは凄いんですよ、多分。俺4本くらいしか観てないけどそういう凄さの映画監督だと思うな。
だからめちゃくちゃ面白いですよね、この映画。ほとんど完璧に近い精度で自分が観せたいものを描き切っているんだもん。そんなの面白いに決まってる。でもこの世界に完璧な映画なんてものは存在しなくて、なんというかワイズマンが理想とはしないであろう完璧さからは零れ落ちるものというか、上記した共同体を完璧に運営する人民というものからは程遠い存在も描かれていて、具体的に言うと駐車違反で切符切られたおっさんが必死で言い訳する場面があるんだけどそこ最高に面白かったな。ワイズマンが理想とするようなシステムから切り離された情感というか詩情というものが溢れていて、端的に言って人間臭いんですよ、そのおっさん。
まぁその辺も計算づくで編集で切らなかったのかもしれないけどさ、遊びというか余白を感じる面白さでよかったなぁ。多分それって高畑勲が意図的に作り出す映像の中にあるブランクと同じような効果があって、絶対に完璧にはなれない世界の綻びのようなものだと思うんですよね。でもそれはきっと完璧なまでに世界を描こうとした果てにしか出てこない空白だろうとも思えるので、そういうのを感じる映画って凄いですよ。
そういうわけで『ボストン市庁舎』はめちゃくちゃ面白かったですね。ワイズマン作品もっと劇場でかけてほしいなぁ。まぁあんまり客入らないだろうけどさ…。
あと最後に書いておくがボストンには粗大ゴミというシステムはないのか。ベッドのマットレスとかそのまんまゴミ収集車にぶち込んでいく映像は中々に衝撃的で面白かったけど、いやそれ大丈夫なの? って心配にもなったぞ。
A

Aの感想・評価

4.2
ひたすら語ることと耳を傾けること。
それをコミュニティの構築や心のケアとしても大切にする市。退役軍人の方々の話が印象深い。

あらゆるところに出てスピーチし、市民の話を聞き、多種多様性を重んじ、銃規制について力強く発言する、トランプ政権下にこんな市長がいたんだ...最後のスピーチじんとしました。
意思を持ち地域のために話し合う職員たちと市民の姿勢に頭が上がらないです。

ゴミ収集もかなりの寛容さで、燃えるゴミと一緒にバンバン家具を粉砕していくのが豪快だった笑

劇中のウォルシュ市長はバイデン政権で労働長官に任命され、先月から台湾系のミシェルウーさんが女性のボストン市長に。アツ...
シオ

シオの感想・評価

4.5
劇場公開を可能にしてくださった方々にありがとうございます。

今回も壮大でした。
私はボストン市政について全くもって無知なので今回はある意味挑戦として鑑賞してみましたが、やはり巨匠は感情を鷲掴んできました。
今後のウー氏の取り組みも是非追っていきたいと思います
2秒前

2秒前の感想・評価

-
市は、行政は饒舌な人と寡黙な人によって成り立っているという映画。道路を着色する作業員の手捌きには美しさすら感じる。ゴミ収集車の破壊力にもビックリ。そしてこの二場面には明確な演出の介入が感じられる。
饒舌さを生業とする人(市の職員など)が普段はそうでない人、だが切実に今の生活を何とかしようと戦っている人の生の言葉に圧倒される瞬間こそがこの映画の白眉だろうか。

あなたにおすすめの記事