No.3365 『まだまだ終わっていない、水俣』 =================== 生涯にわたって水俣病問…
>>続きを読む埋もれた水俣患者を訪ね歩き、申請を勧め、またチッソと直接交渉の末、年金・医療費を含む協定書を締結するなど長く水俣病闘争…
>>続きを読む35年くらい前の映画で極めて高名で私でもそのタイトルは聞き及んでいた。積極観ようとはしなかったか、或いはその機…
>>続きを読む正式タイトルは『日本一ぶりの里 訪問記』。 鹿児島県の離島・長島にある東町漁業協同組合のPR映画として製作。限られた漁…
>>続きを読む富山妙子には「アジア人として、女として、美の周縁から出発する」という信念があった。 本作の中核となる画集『はじけ!鳳仙花―美と生への問い』とリトグラフ『引き裂かれた者たち』には、アジア人、…
>>続きを読む水俣モノではない土本典昭作品。 インタビューの相手のことを皆同じく「あなた」と呼ぶ土本の姿勢から分かる通り、登場人物…
>>続きを読む「はじけ鳳仙花 わが筑豊わが朝鮮」は48分の1984年のドキュメンタリー。2021年8月18日に亡くなった画家富山妙子…
>>続きを読む海外旅行者が増えたとはいえ、その多くが欧米指向であった1982年。 東南アジア10か国から成るアセアン=ASEAN(東…
>>続きを読むこの時代はまだまだ海外旅行=欧米諸国ってイメージが一般的だったらしい、知らんけど。近くて遠いアジア諸国のご紹介ムービー。
「(水俣病の患者さんが)何か新しく始めようとする時、一番障害になるのは親なんですよ」 原田正純先生の言葉。 その障害…
>>続きを読む土本典昭の名作 この映画で最も複雑な問題 「なぜ彼らはそれでも魚を食べるのか」 合理性では解決されない問題こそ我々が最…
>>続きを読む土本典昭・小川紳介監督連続上映にて。 【第一部 資料・証言編】 1956年、「奇病」患者発見に始まる医学者チームの…
>>続きを読む私が水俣病事件に関心を持つなかで、とりわけ強く印象に残ったのは ユージン・スミスの写真集『Minamata』(197…
>>続きを読む【土本典昭・小川紳介監督作品連続上映】 水俣現地での数十年の臨床体験をもつ精神神経学者の活動を軸に、水俣病の臨床上の…
>>続きを読む「水俣」シリーズ17本で知られる土本典昭監督の初期作。警視庁の交通安全PR映画として制作されたが、ナレーションも劇伴も…
>>続きを読む記録映画作家・土本典昭監督の実質的映画デビュー作。 1962年(昭和37年)5月3日、国鉄常磐線三河島駅構内で発…
>>続きを読む「水俣」シリーズで知られる土本典昭監督の最初期監督作(当時33歳)。NET(現テレビ朝日)のテレビ番組「日本発見」の一…
>>続きを読む「資源」と「発展」の観点から佐賀県が紹介される「日本発見」シリーズ作品。 農業の近代化が地域の暮らしに与える影響と伝統…
>>続きを読む柿右衛門、米、ムツゴロウ。