菊とギロチンのネタバレレビュー・内容・結末

「菊とギロチン」に投稿されたネタバレ・内容・結末


圧巻、何度も鳥肌が立ちました。

男も女も、昔から、よくもまあ、こんなにも理不尽な世の中を、生きづらい世の中を、一心不乱に、傷を負いながら、生き抜いてきたもんだ。

くそ
くそ
負けるな

私もそう言いながら、
現実を生き抜いていこうと思えます。

近年は、未来を描く作品が多く、
それも大事ですが、
過去に向き合うものまた大事と思わされました。

瀬々監督の曽祖父世代のリアルな声を反映させたのでしょうか。

現代っ子の我々世代には、もうこのような映画は作れないのだろうと感じさせられました。
廃れてしまって久しい日本の芸能――女相撲興行と、関東大震災にまつわる二つのトピック――朝鮮人虐殺と”主義者”弾圧を掛け合わせた野心作。
タイトルになってるギロチン社のほか、
・ボル派(ボルシェビキ派)
・十二階下(浅草・凌雲閣の近くにあった飲食店街=私娼窟)
・アパシュ
・主義者
・リャク、掠屋
など、ググらんとわからんような単語がバンバン出てくる。
アナキストが企業をゆすって活動資金を得ることをリャクと呼んでていて、掠屋とは志を失った連中――いわゆる会社ゴロのことらしい。掠屋はその後、時代を経て総会屋になっていくことことだ。
東映やくざ映画「暴力金脈」を見てたので、その始まりという意味でも興味深かった。
時代考証がしっかりしているのも特徴で、女相撲興行の再現は微に入り細を穿つ。大相撲に敬意を表して横綱がいないので、最高位は大関とのこと。
力士同士が四股名で呼び合うのもいいね!
新選組が喧嘩したのは女相撲じゃなかったけど、明治大正のころはああいった興行グループがいくつもあって、全国を巡業していたとのこと。
当時の興行界のほとんどがそうであったように、社会的弱者のセーフティーネットになっている様子も余すことなく描いている。
普通の映画では省略されがちな、勧進元(歩方)と興行社の関係も描かれてた。
法的な後ろ盾がない在郷軍人会の微妙な立場は初めて見たかも。えばり散らしても所詮は自警団。現役警察から嫌味をいわれてもいいかえせないプロットが素晴らしい。
その在郷軍人たちが朝鮮人虐殺を率先して行ったという筋書きなんだけど、これはかなり的を得てそう。
日本人は基本極悪だからそこらへんの帝都市民が手を下したという映画「金子文子と朴烈」で描かれた関東大震災における朝鮮人虐殺にはなかったリアリティがあるように思ったけどこのあたりは見るひとによって意見が分かれそう。当然のようにアマゾンレビューは荒れている。
「俺がやったわけじゃないけどごめん」というセリフも自然に聞こえた。物議を醸すことが分かっているのにこのセリフを残したスタッフをたたえたい。
在郷軍人たちのいいぶん、ロシアと戦ったけど「なんのためだったのかわからない」というロジックはわからなかった。悪いやつにもそれなりの理由があるという作劇は少々古いと思った。レイシストはレイシストってだけで十分な罪と思う。
爆弾投擲もキャラとの整合性が取れてない気がしてひっかかる。
ただ、それらを補って余りある勢いと面白さがあった。
なにかに取りつかれたかのように天皇万歳を繰り返すのはリアルじゃないけど素晴らしい誇張だった。
あと、東出昌大の演技がひどかった。
面白かった!
無政府主義者たちを題材としているだけあってか、極めて自虐史観的な描写が作中で随所に見受けられる。3時間という上映時間も冗長。主人公の強くなりたいという願いも報われずに終わるので、結局何を描きたかったのか分からない映画だった。
こういうの読まないとこの映画の意味わかんねーよ。
『ギロチン社リーダーの中濱鐵と古田大次郎を中心にして、仲間達との友情を描く青春映画みたいなものが出来ないか?とずっと思っていた。でもギロチン社は最終的にテロに走り、なかなか一般の人達からは理解できない。リャクと言って企業から金を巻き上げては、稼いだお金を酒と女に使う。俺らみたいなアホな男子は「いい感じやなー」と思うんだけど(笑)まあそういう男子ばかりではないので、映画としてはなかなか難しいなと。
そんな頃、1990年に出版されたばかりの井田真木子さんの「プロレス少女伝説」という本を読んで、そこに女相撲の歴史のことが書いてあった。明治時代に女相撲という興行が始まって、農村の婦女子達がそれを見て家出同然で追っかけて行って力士になったと。何故ならば当時農村の婦女子は、すごく虐げられたと。すごい男性社会で男の子は家を継ぐから重宝がられたけど、女は女工になるしかなかった時代に、力士になって女相撲で強くなれると。これはいいな、と思って。
「菊一輪ギロチンの上に微笑みし 黒き香りを遥かに偲ぶ」そういう短歌句だったんだけれども、菊っていうところを花菊という名前にして、女相撲の映画にしようと。『菊とギロチン』だと!このタイトルだとイケてるなと思った(笑)。それでやり始めた。(瀬々敬久監督 2018-7-20 Cinema Art Online)』
このノンポリとリベラルしかいない地獄社会で、天皇制批判、アナーキスト、プロレタリアートと女相撲、DVから抜け出すために強くなりてえ女、差別されてるとはいえレズビアン(ゲイではないとこもポイント)を描くだけで最高とまず言いたいわ。
そんで、俳優に在日女性がいるってんだから、つべこべ言わずに満点だろ!!!
亭主の元にしょっぴかれる小桜に、「こざくらぁぁぁぁ!!」と叫ぶやつらとナカーマになりたい!!
憲兵に連れてかれそうになった仲間を守るため、親方に守るって言ってただろうがぁ!と男ぶん殴る大関すきぃぃぃぃ!!!

…と激賞したいとこだけど、脚本原作の書籍化した栗原康の限界。
女にだらしない男を支える女像から抜け出せない限界にイラっ
童貞野郎と叫びながらアナーキスト仲間殴るのイラっ
女ひとり救えねえで何が革命だ、の台詞にイラっ
神の怒りを買い、雨を降らせることで干魃対策で女相撲が呼ばれた、にイラっ
女相撲の強さが結局男の腕力でレイプされ全然役立たねえことにイラぁっ

時代、史実の限界といえばそうだが、ギロチン社と女相撲が出会っていたら?のファンタジーなんだから、どうせならもすこし女の見せ場出せコラ。
栗原康と言えば、伊藤野枝の本でも自由恋愛してるノエさいこー!みたいな褒め方しかしてなくて、自分の解釈だらだら書いて女のふしだらってよくねえ?!みたいな文章が世間的にはウケてるけど、ある種のパターナリズムしか感じないんですよね。
まずそのふしだら最高褒めが男の幻想だってこと理解しとけメーン?

あとギロチン社の中浜哲が、満州行ってみんな平等作りたいとかぬかすが、それアナーキズムじゃなくて植民地支配とどう違うわけ? 史実に忠実だとしたらオマエそこんとこどう考えてたんだよ、と問いたい。
彼らが死刑になったのは許すまじだが、ギロチン社は平等社会は作れないね、残念でした〜と、嫌味のひとつでも言いたくなる。

でもまあいい映画です。
なんぼなんでも長いが笑

在日女性の十勝川が、首切られそうな男を守るため、天皇陛下バンザーイって泣きながら叫び、自警団が同じく万歳叫んだ時にタックルして黙らせるシーンはクソ泣ける。名シーン。
貧困層の農民の気持ちわからんボンボンに対する「右翼」側のいいぶんもリアルでいい。

今だって地震があった直後に井戸に毒デマがミーム化して差別をギャク化してるし、「いい在日」を演じさせててたいして変わらんグロテスク状況。
日本は市民革命が今まで一度も起きてない全体主義国家ばんざーーーーい!!!

しかし自警団てどの時代でもクソメンしかいないのはなぜなの教えて誰か…。
「大正時代末期の不穏な空気と閉塞感のなか、自由に生きたい、強くなりたい」と願った若者たちの話。
 自由平等の理想を抱き過激な行動を厭わないギロチン社、庶民の間で人気のあった女相撲の興行、史実を知らなかった…。作品を観終わった後で調べたら興味深いし勉強になりました。
 が、非常にスコアを付けにくい作品。うーん、なぜでしょう。出演者の演技は悪くないし。大震災、在日朝鮮、シベリア帰還兵、なかなか目を向けづらい事もしっかり描いてるのに。
 行き場を失い追い詰められたような、どうにもならなくて叫びたくなるような、胸に迫るものが何か足りない…構成の問題でしょうか。ギロチン社の若者の話だけ、女相撲一座の話だけ、別々でも面白いかも。惹かれたけれども、もう一歩。

(ギロチン社)
 中濱鐵:東出昌大
 古田大次郎:寛一郎
(相撲一座)
 花菊:木竜麻生
 十勝川:韓英恵
 玉椿:嘉門洋子
 小桜:山田真歩
 勝虎:大西礼芳
これはなかなかテーマ的にも取り上げづらいであろう大正時代の国家、政権に対して闘っていた人々を描いた189分の力作だった。

土俵に女を上げたらダメという、もはや現代人に洗脳されている価値観があるけど、江戸時代から昭和30年代まで女相撲という興行が日本に存在していたなんて、無知とはおそろしい。

現代の問題としても連綿と続く女性の自力の象徴的な存在として女相撲があるわけだけど、彼女たちは一人一人事情は違うけれど、自分の境遇から逃げてきた女性だった。
特に見ていてきつかったのは、関東大震災の際、デマのせいで朝鮮人に対する差別や拷問、殺害があり、なんとか逃げてきた十勝川関に対して向けられる憎悪と暴力が見てられなかった。ひどすぎる。こんなことあっていいわけがないのに、必ず日本では災害が起きるとこのような差別発言が出てくることに深い怒りが湧いてくる。

主人公の花菊も嫁いだ男から暴力とレイプまがいの暴力を日常的に受けている。
こんな狂った時代をもっと日本人は知るべきだ。もう繰り返してはいけないと深く思う。
作中で印象的なのは、捜索願いが出て警察に連れていかれる小桜が警察に帰ったら旦那にちゃんと頭下げろよって言われて、頭なんて下げないし、出てくるときに家に火をつければよかったって言ったときに、この非国民がーと言われて、"上等だよ、非国民!"って叫ぶシーン。
あとは十勝川関に元軍人が天皇万歳を強要するシーン。
きつい、きつすぎる。

ギロチン社の人々は理想はあっただろうけど、全然上手くいかない。
彼らの理想はわかるし、時より響く言葉はあるけど、やっぱり女相撲の力士たちより子供っぽい絵空事に見えてしまう。
アナーキズムはわかるけど、彼らが暴力以外の革命を考え抜いていたとは思えない。

歴史はいいときもあれば、悪いときもある。
悪いことは隠さず繰り返さないようにしなければいけない。
今がいいとは全く思わないし、問題は更に複雑に絡み合っているけど、私たちは学習しなければまたすぐにこんな時代になっていくような気がする。っていう感想。
すごい映画だった。相撲という日本の国技でありながら、女性がまわしを巻くことでここまでアナーキーと相性が良くなるとは思わず。途中で天皇陛下万歳と叫ぶシーンは忘れたくても忘れられないような鮮烈なものがあった。強くなることとはどんなことなんだろうか、今一度考えてみたい。
主義者と云われる結社の掠行為と自堕落な様、在郷軍人の大震災後の過剰行動と差別主義、朝鮮人と忌み嫌われる民の悪態と生きづらさ、
前半でパターンに則った描写があってそこまでは事象が綺麗な歯切れ、
後半は、主義者の若者の迷いと理想と極個人的な話への帰着、軍人会のレッテルが剥がれて自分達も自己否定との狭間で揺れていた脆さを吐露、朝鮮の人物も万歳と飲み込みつつも心では唾きして強い者を睨む、
ストーリーがわからなくなっていく。
「おら強くなりてえ」と言っていた主人公が、国体たる警察権力に角力で抵抗する。

演出も人物も脚本も時代の切り取りも尺も、挑戦的な意欲作
女も男も動いているようで全く動いてない みんなもがいていました、で済ますには長すぎる なんかやれ!脱げ!おっぱいみせろ!と思ってしまうな 観客みたいに 取って付けたような強くなりてぇ、は一体何のためなんか、殴る夫も退役軍人も好きな女を殺す世話役もクソ、でも変わりたいという意志の先が曖昧 面白くない訳じゃないけど、停滞してるから一番盛り上がったところは設定 地元のお堀が出てきて嬉しかったこともそういえば忘れていた 長すぎるんよ 全体的に小綺麗やった
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